吉敷地域の文化
一里塚
一里塚は、一里(約4㎞)ごとに建てられた、街道の区間距離を示す施設です。街道のすぐ側に建てられ、旅人たちの移動の目安となる重要な施設でした。慶長9年(1604)、徳川家康が秀忠に対し、江戸日本橋を起点とし全国の街道に一里塚設置を命じたとされています。
周防・長門国(山口県)では、「正保2年(1645)、国絵図作成時に一里塚を築いた」(『防長風土注進案』宇佐郷村)、「慶安元年(1648)、(徳山)藩内に初めて一里塚を設置した」(「徳山藩記録類纂」)とする記述などから、防長両国全体では、1640年代頃より本格的に整備が進んだと思われます。また、防長では「一里山」とも呼ばれていました。
一里塚の多くは、石や土で半球形に盛った塚上に、榎や松が植えられていましたが、防長では、塚上に四角柱の塚(つか)木(ぎ)を立て、塚木には「「従○○○ 是迄△△里」、あるいは「従○○○ △△里 至□□□ ▽▽里」のように、基点の地名と里程が記されていました。基本的に藩が設置し、維持管理は地元の村々に任されていました。
幕末期の一里塚廃止や明治以降の都市開発、道路整備等で、その多くは失われていますが、現在も県内各所に遺構があり、一部は国・県・市指定文化財として保存されています。
・悴坂一里塚(萩市、国指定史跡「萩往還」関連遺跡)
→https://www.youtube.com/watch?v=ROFMir9WDk0
・上長瀬一里塚(萩市、国指定史跡「萩往還」関連遺跡)
・黒井一ノ瀬一里塚(下関市豊浦町・県指定史跡)
→https://www.youtube.com/watch?v=OkUcAdKJkIs
・中ノ川山一里塚(岩国市美和町・県指定史跡)
→https://www.youtube.com/watch?v=wGch6X9rBo8
・陶峠下一里塚(山口市陶、市指定史跡)
・早尾坂漆ヶ坪一里塚(岩国市錦町府谷、市指定史跡)
→https://www.youtube.com/watch?v=FVoSdImUJi8
・やげん谷一里塚(周南市中須仏峠、市指定史跡)
・小野一里塚(下関市小野、市指定史跡)
※リンク先の山口博物館公式チャンネル「映像で見る防長の街道」で、該当一里塚の様子がご覧いただけます。
この他にも、県内各地に未指定ながら一里塚の遺構がいくつか残っています。また、地元関係者によって復元された一里塚は、吉敷関屋一里塚のほかに、長谷一里塚(岩国市美和町、岩国往来)、郷一里塚(岩国市美和町、岩国往来)、本郷釜屋一里塚(岩国市本郷、山代街道)ほか複数あり、いずれも往時の街道を偲ぶ貴重なランドマークとなっています。