吉敷地域の文化
道標管理番号1
2016/4/30
1番
ここは肥中街道の起点である安部橋から、湯田を経て3.7㎞の地点です。
肥中街道はここから南西に進みます。このあたりの道幅は旧街道の面影を少し残しています。少し進むと右側の民家の前に自然石に「猿田彦大神」と彫った碑が建っています。
さらに西に向かうと吉敷川があり、もと中村大橋と言われた吉敷大橋が架かっています。
この吉敷大橋の左岸には山口大神宮遥拝所の石灯籠が建っていました。大洪水などの原因で現在は吉敷郵便局の隣に移設されています。灯籠には「文化6己巳夏日」(1809)銘が刻んであり、傘には菊の紋章が刻まれた大変珍しいものです。
さらに、この橋の西北の際は古四の宮といい、周防五社の一つ「周防四ノ宮」赤田神社が最初にあった地と伝わっています。
またここには「溝倉設施表徳の碑」と書かれた石碑が建っています。木崎、中村地区に灌漑用水路を引くとともに、飢饉に備え米の備蓄倉庫を設置した野村勇の功績を後世に伝えるため建立されました。
次の道標は西に約700m先です。